1.本書インターネット公開に当たって

本書執筆の動機は、日本でロシアの写実主義絵画がほとんど注目されていない状況に、「こんなに素晴らしい絵画なのにどうして」という疑問を持ったからであるが、それと言うのも、国際物流を扱う会社に勤めていた関係で一九八九年より四年間モスクワに駐在し、ひょんなきっかけから絵画鑑賞や絵を蒐集することが私の数少ない趣味のひとつに加わったというか、のめり込むほど夢中になるような経験をしていたからで、そのお蔭で日常的にその絵画芸術から計り知れない楽しみと癒しを得ていた私としては、その体験からしてそんな疑問を抱いたのはごく自然なことであった。

三年、四年と時間が経つにつれて、日本のその状況が少しも変わらないのを見るうち、そのような状況が改善するよう私も、たとえ僅かとは言え、何か手助けをすべきではないのかと思うようになった。

それというのも、現代ロシア写実主義絵画の極めて高い芸術レベルからすれば、できるだけ早い機会に、誰かがその絵画の普及に役立つことを本格的にしなければならないのは言うまでもないことであるが、実際にそれをやろうとする人は、いたとしてもごく限られた人であろうし、それは言い換えれば、いつまで待つかわからないということにもなるので、それなら私も他人頼みにせずに、自分なりになにがしかのことをやってみようかという気になったからである。それで、その時の私にできることを消
去法であれこれ考えて、最後に残ったのが自分の体験を基にその絵画についての本を書くことであった。

本書を書き始めて半年後の一九九八年四月に、原稿の約七割の下書きを終えたところで二度目のモスクワ駐在をすることになったため、原稿の完成を見たのは、その駐在期間中であった。脱稿したときは、当然のこととして、駐在を終えて日本に戻ったら本書を出版することをまず考えたのであるが、それと同時に、世界中の人が閲覧するインターネットの絶大なる情報波及効果に注目し、日本での出版が一段落したら、いずれ遠からずのうちに、ホームページ作成の準備を始め、私の知っている英語とロシア語の翻訳により世界の絵画専門家や美術愛好家等に本書を読んで貰おうという計画を持っていた。

本書の日本での出版については、二○○五年五月に何とか実現することができ、その結果として読者の方々の称賛のコメントを幾度となく頂戴したことや、また本書がそう多いとは言えないながらも、東京芸術大学等の美術を専門に教える大学や一般の総合大学等の学部図書館や国立国会図書館その他、一応は日本全国にまたがる公共図書館に蔵書され、専門的な美術の研究や絵の研鑽に携わる人たちや絵画愛好家の方々の目に触れ、現代ロシア写実主義絵画の参考文献として役立つ可能性が確保できたこと等、ささやかながらも、出版した反響はそれなりにあったのであるが、長らく続いている出版業界の不況でちょっとでも高価な本、特に美術書はなかなか売れないと言われている状況の中で、増刷するにも至らず、今のところその効果は、期待したようにはいかず、かなり限定的なものになりそうである。

それで、今回当初の目的通りホームページを開設する前の準備段階において、英語、ロシア語の翻訳だけでなく、日本語の原文も加えて、本書を三か国語で公開することにした。それまで露訳テキストを何十回と読み直し、その読み返しの過程で気付いた日本語原文の間違いや、不適切に思われる表現をその都度修正し、露訳に反映してはいたが、三カ国語での同時公開の決定に合わせて、本書の完成度を高める観点から改めてその巻頭に載せる論考を加筆することにし、また日本で本書を出版した後に出て来た参考事項等も加えることにした。改定版というほど大幅な変更ではないが、テキストの内容が当初のものと多少変わったという意味で、敢えてその言い回しを使わせて頂いた。

ところで、最初のモスクワ駐在の後、ロシア写実主義絵画が少しも注目されていないに等しい日本の状況を見て、それはロシア絵画の優れた実物を、美術館等で常時鑑賞できるような環境が日本にないからだと、深く考えもせずに単純に考えていたのであるが、本書の出版を契機に日本の絵画販売の動向なども知るに及んで、それだけが原因というわけではなく、そもそも日本では写実主義の絵画様式そのものに関心が薄いらしいというのが解ってきた。つまり、ロシア絵画が注目されていないのは、その絵画のレベルの高い絵が広く知られていないということもあるが、それ以前の問題として、その絵画が写実主義様式であるということにより深刻な原因があると思うようになったのである。

日本はアマチュアー画家を含めて写実主義絵画を描く画家は多いし、二科展等の公募展やその他の展覧会を見た経験から言えば、良い絵に属する写実主義の作品もそれなりにあるのであるが、需要の観点からすると、写実主義の第一人者と目される現代画家の作品でさえ、よい値段がつかないのだという。売れっ子の日本画や前衛芸術の作家が破格の値段で取引されているのと比べるまでもなく、その購買需要の低迷は、写実主義絵画そのものの人気のなさを象徴している。

しかし、改めて考えてみれば、その人気の低迷は長期に亘り続いていたのであり、私がそれに気付かなかったのは、とりわけ絵に興味を持つ以前もそれ以降も、印象派や後期印象派ばかりが話題になる日本の状況に気を取られて、その裏返しの現象である写実主義絵画が蚊帳の外にあることに注意して目を向けることがなかったからである。

そこで、自分自身がそれについての正しい認識を持つためにも、その原因はどこにあるのかという問題意識をもって、写実主義様式を中心に再度西洋美術史を当たり直し、自分でも色々考えて、その絵画の不人気の原因となったある種の要因、写実主義の絵画様式の命運に関わる美術史進展上の偶然やボタンの掛け違い、ないしは誤解や偏見といった要因が相互に絡んでいて、現在に至るまで写実主義が正当に評価されないような状況が一世紀以上にも亘り長期に続いているという既成の事実を自分なりに確認したわけである。

これは西洋美術史に絡んだ話なので、日本ばかりでなく、欧米その他の国々の地球規模にまたがる傾向であり、ほとんどが写実主義様式のせいでそうなったという性質のものではないため、写実主義画家の正当な評価の観点からも軌道修正すべき事柄であろう。

現在は写実主義絵画の再評価も徐々にではあるが、ともかく進行しているようである。しかし、脱写実主義絵画の黄金期に形成された写実主義絵画軽視の傾向が今も根強く残り、それが現在もその絵画の不人気の要因のひとつになっているのであるから、その状況は、写実主義絵画の再評価を少しでも早めるためにも、取り除くことが求められる。幸いなことにその心理的要因は、誤解を解くことによって治癒の手立てを取ることもできるので、それで、この紙面を利用して、写実主義絵画の人気低迷が続く主な原因がどこにあるのか指摘し、その原因を詳しく解明したいと考えている。

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